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【出会い】

THE BEAMS。(“ビートルズ息子。”〜“ビームス”)の前身となる、The Dow Jones & Industrials (米国工業平均株価指数〜以下“ダウイン”)が結成されたのは、1989年頃に遡る。 バンド結成のきっかけとなったのは、当時 某証券会社・国際金融部に務めていたおねすと・ジョン(以下、“HJ”)とP巻の出会いである。(まっ、本家ビートルズもジョンとポールがリバプールの教会で出会ったのがきっかけなので、似たようなもんですね) 。

【ダウイン結成〜1989年】

1988年9月、HJが所属する部署に配属となったP巻は、早速HJと意気投合。お互いビートルズが大好きという共通点もあり、夜な夜なカラオケに通う日々が続いたのである。 本家ジョンレノン同様、HJは若くして結婚しており、彼の“シンシア”はかなりの美形であったことは言うまでも無い。 P巻が配属になった国際金融部には、P巻が配属になる直前までジャック近藤(以下、“ジャック”)が在籍しており、国際金融部の部内旅行では、HJ&ジャックによるビートルズカラオケ&演奏会などで盛り上がっていたようである。 ちなみにBGM(BEAMS。のジョージ・マーティンの頭文字〜以下、“BGM”)は当時、国際金融部と同じフロア−にある資本市場部に所属していたので、HJ、P巻ともBGMと面識はあった。 「りりり〜ん」 ○月○日、国際営業部に配属していたジャックの社内電話が鳴る 「はい、ジャックです」 (会社の電話でコードネーム対応するわけないが、ここでは便宜上コードネームを使わせて頂きます。) 「ジャ・ジャックさん? HJです〜っ。突然ですが、うちの部署に左利きのベーシストでビートルズ大好き野郎が転勤してきましたよ! 今度三人でカラオケ行きましょう!」 その後、ジャック・HJ・P巻の3名に同じ国際金融部員1名(リードギター)と社外メンバー(ドラマー)を加えて、めでたく、ダウイン結成と相成りました。 バンド名は、メンバーが証券会社勤めということもあって、米国株価指数である、Dow Jones & Industiralに仮決定し、その後いいバンド名が思い浮かばなかったので、2003年2月までダウインの名前で活動することとなった。

【ダウイン・デビュー〜1990年】

折角バンドを作ってもお披露目する場所がないと、“即解散!”って憂き目に遭いかねません。そこでダウインは1990年○月○日にめでたく結婚されたジャックさんの二次会をデビューライブのターゲットとし、渋谷にあるスタジオで練習を重ねたのでありました。 二次会の場所は六本木にあるオールディーズ中心のライブハウス。100名前後の友人・親族が集まる中で、ダウインデビューと相成ったのであります。確か小一時間程演奏し、演奏曲の9割ぐらいをビートルズ。残りはE.クラプトンやR.ストーンズの曲他を演奏しました。  その後、1991年P巻もめでたく結婚。 言わずもがなの二次会は同じく六本木某ライブハウスにて実施。 順調に思われたダウインの活動は、第一期ダウイン時代のライブはこの2回で終了。ここから長い、“ピンクフロイド状態”の冬眠期間に入るのでありました。

【ご栄転〜海外転勤ラッシュ】

P巻・結婚式二次会ライブ終了後、長い冬眠状態に入った理由は、サラリーマンバンドの宿命とも言える、人事異動〜転勤によってであります。 1991年以降、ジャックはロンドン、 HJはドイツ〜その後ロンドン、当時バンドメンバーでなかったBGMもロンドン、同じくツッチ−(ドラマー)もロンドン〜その後香港、P巻はニューヨークへと、皆世界へと羽ばたいて行ったのでありました。♪ビジネスマ〜ン・ビジネスマ〜ン・じゃぱにぃ〜ず・ビジネスマ〜ン♪〜リゲインのCMが流行っていた頃です。 2002年9月六本木キャヴァンクラブライブを持って、BEAMS。正式参加となったツッチ−は東京勤務当時、OFF BALANCEと名乗るテクニシャン揃いのバンドでドラマーをやっており、某証券会社の恒例行事である夏の社内パーティーではライブ演奏を行っていたようである。 ロンドン転勤となったジャック・HJ(ドイツ⇒ロンドン)は正式にバンド結成することはなく、社内クリスマスパーティーに飛び入りでビートルズ曲をデュエットで歌う程度であった。 元々、クラシックピアノを幼児の頃からやっていたBGMは友人と偶にセッションを楽しんでいたようである。 その後、ジャック・HJは日本に帰国。ダウイン復活〜BEAMS。結成のきっかけとなったのは、またしてもP巻であったようである。 1998年P巻がニューヨークからロンドンに転勤となった年のクリスマスパーティーで、ツッチ−と一緒にOFF BALANCEを結成した当時のメンバー(リードギター・ベース)及びBGMと一緒にライブをやったのであった。 OFF BALANCEは翌年もBGM、工事ぱうえる(ドラマー)他がクリスマスパーティーで演奏。2000年5月の異動によりBGM・P巻・工事ぱうえる、3名が日本に帰国、ダウイン復活の基本メンバーが日本に集結することとなったのである。

【ダウイン復活〜2001年8月】

既に日本に帰国していたジャック・HJに加えて、BGM・P巻・OFF BALANCEドラマーの工事ぱうえるが帰国。 “それじゃ〜いっちょダウインを復活するか〜!!“って事で、めでたく再結成と相成りました。 復活ライブの場は、以前ツッチ−がOFF BALANCEを率いて演奏したことのある、社内パーティー(社内パーティーとは言え、500〜600名ぐらいのオーディアンスを前に演奏するステージである。それはそれでかなりの緊張を強いられる演奏であった) ダウイン復活メンバーは: ジャック: リードギター&ボーカル HJ: リズムギター&ボーカル P巻: ベース&ボーカル BGM: キーボード&ボーカル 工事ぱうえる: ドラム

【おじさんビートルズバンドコンテスト出場〜2002年2月2日@六本木キャヴァンクラブ】

さてさて、自前のHPまで立ち上げる程、バンド熱が高まるきっかけとなったのは、間違いなくおじびーコンテスト出場がきっかけであろう。たまたまP巻が仕事中の日課である、遊びインターネット検索を行っていた際に見つけたのがきっかけであった。 40名近い、身内応援団を引き連れ、キャヴァンクラブに乗り込んだダウインは、一昔前の自民党(?)のような圧倒的な組織動員力を持って、見事「応援団賞」をゲット。 「手ぶらじゃ帰れません」を合言葉に乗り込んだメンバー一同、“ほっ”と胸を撫で下ろす結果と相成りました。 コンテスト結果は別として、おじびーコンテストを通じて知り合いとなった、Group & Iさん、SGT 21さん、Belvetsさんなどなど、他のビートルズ・トリビュー・バンド及びキャヴァンクラブスタッフの方々との交流が一番の財産であると思っております。

【ドラマー交代〜レフティー永ちゃんバンド参加〜2002年6月】

もともとかなりのビートルズお宅を自称するツッチ−は、まだ正式にダウインには参加しておらず、おじびーコンテストに聴衆者として参加しているのみであった。 オリジナル曲を演奏するバンドに所属しているドラマー・工事ぱうえるは、抜群のテクニックを誇り、ロックからフュージョンまで、本物のコージーパウエルも真っ青になるようなドラムを叩く逸材であった。 が、しかしやはりリンゴとはちょっと違う・・・ それよりも何よりもビートルズを知らない。 「ここは証券会社勤務経験である真骨頂を活かしてのM&Aしかない・・・」 ダウインの更なる発展を主目的に、ドラマーをツッチ−に正式交代する決断をしたのであった。 但し、本家ビートルズが行ったようにピートベスト追い出し⇒リンゴ組み入れではなく、あくまで工事ぱうえるの円満退社であった事は幸いであった。 工事ぱえうる脱退とほぼ同時期に、工事ぱうえるが1人の若者を(会社の後輩)を我々のスタジオ練習に連れてきたのであった。 彼の名は・・・ “レフティー永ちゃん”(以下、“永ちゃん“) その名の通り、左利きではありながら、彼が演奏するビートルズ・ギターはリズム&リードパートとも、殆ど完コピの世界であった。ギター演奏技術のみならず、醸し出す雰囲気、最年少者であること、海外勤務経験がないにも係らず、正確な英語発音及び歌唱力、ビートルズお宅知識、等々メンバー一同、目を見張るものであった。当然、“即、入団テスト合格!“となり、現在の6人構成のバンドが出来上がったのでありました。 ツッチ−・永ちゃんのデビューライブは、2002年8月社内パーティー。 当然演奏も恙無く終了し、間髪入れずに9月にキャヴァンクラブライブに親交の深いSGT21と一緒に出場することになったのである。 その時、メンバー全員でTHE BEAMS。ロゴ入りTシャツを作りました。

【バンド名変更〜THE BEAMS。誕生 2002年9月】

ダウイン復活以来、数回ライブを行ってきたものの、ダウインのフルネーム(Dow Jones & Industrials)が長いことに閉口していたメンバーは、ツッチ−&永ちゃんの参加を期に、バンド名変更を決意。 本家ビートルズ同様に、バンド名変更時にアイデアを出すのはジョン役のHJ。それにBGMが手直しを加えて、“ほれっ、完成!“って感じでバンド名が決まりました。その時の経緯はこんな感じです。 「モーニング娘。に対抗して、ビートルズ息子。略して“ビームス”ってのはどうだ?」 「いいですね。 横文字にするとBEAMSですね。でも同名の服ブランドがあるので、モーニング娘。にひっかけて、BEMS。にしましょう。 THE BEAMS。 最後の○を忘れずに」 その後、Belvetsさん・Group & Iさん、SGT21さんとの合同ライブ〜題して“ビートルズ・ファイトクラブ〜ガチンコライブを2003年2月16日に実施〜現在に至っております。今後の活動イベントは、毎年恒例の社内パーティー(7月31日)が次回のライブ。それ以降は秋〜冬頃にどこぞのライブハウスに出没する他流試合をこなしていく予定です。 ビートルズファンが集う、ライブハウスで演奏し、(応援団なしで・・・)、厳しい目にさらされながら演奏レベルの向上をはかりたいな〜と思っている今日この頃です。 以上、駆け足ですが、BEAMS。誕生までの軌跡を駆け足でご紹介致しました。 今後とも宜しくお願いしますっ!