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Fさんの思い出 20年前?

思えば大学のころ、VT250で、年末31日にバイトを終え、なんとなく走っていたら、そのまま伊豆方面から、静岡を一般道で走り、(当時は金が無かったので高速道路とタクシーには乗ったことが無かった)関が原あたりから、北陸自動車道にいつの間にか乗っていました。関が原からは雪。本当に雪面が真っ白で、2−3CMは積もっているなかを、高速で郷里の石川県根上町(小松IC)まで帰りました。

深夜2時ごろに家について、家人が、あまりの無謀ぶりにあきれはてていたのを覚えています。その日からずっと降り続いた雪で、帰りは宅急便でバイクを東京送りかえしました。 当時は当然、つなぎなどなく、綿パンに、ダウンジャケット。したはビニルガッパと、新聞紙で寒さをしのぎましたが、不思議と、雪の中でもバイクで100KM位で走れるものだと。。平気で走っていました。

14時間くらい走りっぱなしでしたが、よくもまぁ。。とう感じです。足も手もじんじんとして、耳鳴りがしていたのを覚えています。 今だったら、雨でもおっかなくて走れません。死ななかったのは偶然ですね。

あと、大学はソフィアライダーズクラブという、機械工学科の人が中心のクラブに所属していて、毎年2月に追い出しツーリングといって、先輩を送り出すための泊まりのツーリングに伊豆の松崎に行っておりました。85年くらいだったでしょうか?

その帰り、戸田(西伊豆の「へた」)あたりから、雪が降り始めました。結局記録的な大雪で東京も20CMは積もったと思います。当然交通マヒ。ヘルメットのあごからツララをたらしながら、平塚まではたどりついたのですが、全員そこのスカイラークにバイクを乗り捨て、平塚駅まで歩き(ヘルメットにつなぎの軍団が亡霊のように、雪のなかを歩く様は、異様だったろうと想像します。)、電車を乗りついで、東京まで帰りました。2日後くらいにバイクを取りに行きました。。いや〜。当時小生はロードバイクでしたが、オフに乗ってた人たちは、車輪にロープを巻いて、走って帰れたようでしたが。。。 私も、それからXTに乗り換えました。(大げさなうそです)

Kさんの白峰高原を聞いてのエピソード
しかし、白峰高原とはまた、涙涙。大学一年のころ、とったばかりの自動車免許でお袋のシビック(旧式ツードアCVCC)で、小松で酔っ払った勢いで、先輩とそのまま、夜中に走りに行きました。

タイトなコーナーが続くダム湖・川を走るワインディングで、タイヤを鳴らしながら、今思うとほんとに死んでもおかしくないような馬鹿なことやってました。若気の至りとはまさしくこのこと。

それから、バイクでもなんども、死んでてもおかしくない思いは結構していますが、いまだに生きておりますね。めでたいことです。が、ダムの周りとか湖の周辺の見通しのいいワインディングをロードバイクで攻めるのはホントに気持ちいいですよね。福井の三方五湖のあたりは海続きみたいなものなので、平地だし、思い切り攻められましたね。これもう大学2年くらいのときの思い出ですが。

当時は、暇さえできればバイクでツーリングでした。春の福井。越前の海を見ながらの越前街道。咲き誇る菜の花を背に正面からすれ違った、イタリアカラーのドゥカが、今でも忘れられませんね。三方五湖からは太古より敦賀から京都に物資を運んだと思われる旧街道を超え、京都へ。鈴鹿峠を越えそのまま東街道で帰るもよし、ちょっと伊那から馬籠、御岳から松本を通って、甲州街道をというルートもあり。途中高遠なんてよったりして。あ〜たまりません。

あのころはもう戻ってこないですが、思いでは、常に美しいもんです。