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回想録4 録音、再生機器の誕生 平成17年6月

昭和20年8月15日正午、終戦を告げる玉音放送がありあした。当時、学徒動員で東芝府中工場で働いていた15歳の私にはその放送の内容が理解できませんでした。何故なら音質が極めて悪く雑音交じりで、友人たちも誰もがその内容がすぐには解らなかったのです。

一部の幹部社員が「戦争が終った」と無表情で話しているのを聞いて、やっと戦争が終ったと理解できました。あの放送はNHKが皇居にディスクレコーダーを持ち込み、録音したもので、原盤が放送に使用されました。当時日本には使える磁気録音機がなかったのです。

磁気録音機は最初、ピヤノ線を使ったワイヤーレコーダーから出発しました。1898年には最初のモデルが発明され、1935年にはマグネトフォンの名で発売されましたが、音質が悪く実用的ではなかったようです。私が最初にワイヤーレコーダーに実際に触れたのは、ウェブスター社のレコーダー(写真左)ですが、ワイヤーの扱いが難しく、実用的では無く、1939年にアセテートのテープと、交流バイヤスの発明で、テープ式が磁気録音機の主流になりました。


日本では1950年7月、東京通信工業(現ソニー)が国産初の録音機を発売致しました(写真左)。当時電気系の技術雑誌を数種類刊行していたオーム社では座談会の記事作成用に早速、これを購入しました。重さ45kg、価格16万円のこの録音機は、庶民には高嶺の花で、オーム社でも、勝手に操作することは出来ない貴重品でした。

時代は高度成長期に入り、参入する企業がどんどん増え、価格も急激に下がってきました。アマチュアーの間では自分で組み立てる人も増え、赤井電機からAT-2]と言う、組み立てキット(写真右)が発売されました。プロジュースしたのは尊敬する先輩の大津 光一さんでした。 価格は電気部品を入れると15,000円以上で、当時の大卒の初任給1万円を遥かに超えていましたが爆発的に売れました。

当時は試験用の1000サイクルの標準テープが手に入らず、大津さんも困っておりました。民間放送を開始したTBSはいち早く、アンペックス社からプロ用のコンソールタイプの録音機を輸入しておりました.技術部に友人がおりましたので放送終了後、夜中に大津さん、赤井社長、そして私がTBSを尋ね、1000サイクルの録音をさせて貰いました。それが後の アカイテープレコダーの原器になったのです。勿論、オープンリールでした。1955年頃だと記憶しております。その後オープンリールのテープレコダーは トランジスターの実用化の恩恵をうけ、各社から次々と発売されました。


1970年代に入ると状況が一変します.それは8トラックのカートリッジ型テープとカセットテープが登場したからです。両者は指導権をめぐって争いました。 結果はご承知の通り、カセットに軍配が上がり、約30年間、磁気録音機の主役になりました。カセットレコーダーが最初に発売されたのは1972年でSONYが一歩リードしました。

8トラックはエンドレスのテープを使ったものでレーザーディスクが登場するまではカラオケの主役でしたが、今は絶滅状態です。カセットレコーダーは小型化、高性能化がすすみ(写真左は松下のパナミニカセット)ますます我が世の春を謳歌しました。1979年にSONYが発売したウオークマンで 更に勢いをつけましたが、inovationの勢いは留まるところを知らず、CDプレヤー、MDプレヤーと進化を続けました。

そして終にICレコーダーが王座を占めました(写真右はサンヨーのICレコーダー)。録音時間が20時間以上になり、回転部分がないためとデジタル化により、極めて安定した高性能を維持できる、理想的な録音機です。最近の量販店のテープレコーダーのブースは、半分がICレコーダーで占められています。

更に技術は成長しMacのi PADに代表されるような、ハードディスクを取り入れた音響機器が次々と誕生すると思います。楽しみです。眼が離せません。