トップページへ

ビンテージ編11 Nikon社 F 平成17年7月

1960年8月17日、私はM電機の森部社長と共に、羽田空港からパンナム707型機で欧米へ向け日本を出発しました。30歳で販売課長であった私は、森部さんの通訳兼カバン持ちとして海外得意先への表敬訪問と、市場調査のため、60日間の長期の出張となりました。

当時は一般人の旅券の取得は禁じられていた為、取引のあった大手商社のM社の嘱託社員の資格で旅券を所得しました。写真は45年前の旅券で、革張りの立派なものでした。

さて、その海外旅行は当時としては一族郎党が、空港へ見送り にくる程の、「洋行」、「外遊」という言葉が似合うほど珍しいことで 一門の名誉なことでした。恥ずかしくも、楽しい思い出です。



さて、出発前に、森部さんから、国産最高の カメラを持っていくように指示された私は迷わずNikon Fを選びま した。その前年の1959年に衝撃的にデビューしたNikon Fは ペンタプリズムをファインダーに採用し、アイレベルでの撮影を可能に した、正に画期的な1眼レフでした。写真がその勇姿です。

勿論完全マニュアル式で、レンズは交換式 ニッコールのf:1.4 50mmが標準装備されておりました。当時の ニコンはSシリーズで既に、ライカやコンタックスを凌駕する高性能を 世界が認めておりました。前回でご紹介した「カメラビュー誌」でも32人の 専門家中、12人が今でもNikon Fを国産最優秀機に選んでおります。

45年前はアイレベルの1眼レフは皆無でした。さすがのドイツでも 商品化はされず、キャノン、ミノルタ等も準備段階でした。それだ けに1959年のF型の発表は画期的であったわけです。







           


旅行中の撮影は専ら私が行いましたが、雑誌記者時代の経験 が大いに生きて、マニュアルでも露出不良などはなく、モノクロで 撮り続けました。

旅程はアメリカ、カナダ、イギリス、オランダ、ドイツ フランス、イタリーと世界一周で組まれましたが、最初のアメリカは LAへの直行便がなく、ホノルルで乗り換えです。2日滞在し、旅の疲れを 癒しました。kodak主催のフラダンスショーが毎日行われておりまし た。そこでのスナップがこれです。

     


Nikon Fは約80台万生産され、販売されたそうです。発表と同時に 交換レンズが多数発表され、人気を独占しました。

LAに飛んだ私たちは、一日得意先からゴルフの接待をうけました。 これがその時の写真で、左端が故人の森部さんです。


更にカナダのトロントでは鱒つりに招待されました。グラマンの双発の 水上飛行機で釣り場の湖に着水しました。これはその折の 大漁のカットでNikon Fによる、森部さんの撮影です。

その夜、ロッジで2世の社長の立石さんが、カリフォルニア米を炊いてくれ、釣ったばかりの 鱒を焼き、醤油をかけて食べた夕食は生涯忘れえぬグルメでした。



1ヶ月のアメリカ滞在を無事終えた私たちは、ヨーロッパへ向かいました。 右の写真は45年前のエッフェル塔で、モデルは森部さんです。

この旅行中、多くの外人や得意先のかたから、Nikon Fは絶賛され、 何回も譲って欲しいといわれました。デュセルドルフで私がライカのM2を 買ったのもこの時です。

当時は北周りの航路がなく、帰りは南周りでBOACのコメットで28時間 かけて、数箇所でトランジットしながら帰って来たのも、今では良い 思い出です。