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ビンテージ編5 六桜社のパーレット 平成17年5月


今回は1925年に六桜社から発売されたパーレットを取り上げました。 このカメラは私が生まれて初めて手にしたカメラです。59年前になります。 終戦により勤労動員から学校に帰った私に、若い体育の先生が このカメラを見せてくれました。そして基本原理を教えてくれ、カメラを 貸して呉れたのです。最初の1本は殆ど失敗でした。露出不足と シャーター振れが原因でした。このPearletteの規格は

レンズ:単玉固定焦点、焦点距離75mm、f=16
シャッター:B 1/25、1/50、1/100
使用フィルム:ベスト判ロールフィルム
ファインダー:反射型回転式

という誠にシンプルなもので、写真を撮る最低限の機能しかありません。

当時の安サラリーマンや貧乏学生が買える最低レベルの大衆カメラでした。私が最初に失敗したのは、レンズがf=16と、大変暗いレンズであった事と当時のフィルムの感度が非常に低かったことにその理由がありました。それを教えて貰って、天気の良い、日の光の強い時間に、2m以上に被写体をおき、逆光をさけ、静かにシャッターをおした所、驚くほどきれいな写真が撮れました。添付してある写真がそれで1946年の春、江ノ島で旧友を写した写真です。古いアルバムからスキャンしました。

35年ほど前、甲府で会った友人がこのパーレットをもっていました。早速 交渉し、私の持っていたニコンのコンパクトカメラと交換して貰いました。 六桜社は1902年、杉浦六右衛門が設立した会社で当時は乾板や印画紙 の製造販売が主でしたが、後に小西六写真工業と社名をかえ、更に戦後 コニカと変わり、現在はコニカミノルタになっております。小西六写真工業は 日本のカメラ史上に残る名機を沢山発表しました。なかでもベビーパール、 セミパールはHEXERという優れたレンズを搭載し、zeissのikontaにも匹敵する 素晴らしいカメラでした。いまでもコレクター仲間では5万円前後の値がついてい ます。


パーレットは多くの人に支持され、ベストセラーになりました。然し競合機がありました。kodakのベス単と、ドイツのPiccoletteです。添付したPiccoletteの写真をパーレットと比べると、その類似性に唖然とします。全体の形、ロゴのデザインまでそっくりで明らかにパーレットが模倣したとしか考えられません。この時代においては止むをえない事だと思います。

之をバネにして小西六写真工業は独自のカメラを開発し大発展を遂げたのです。 残念ながら高級1眼レフやデジカメでは、一歩遅れをとって、苦戦しております が第2、第3世代のデジカメで頑張って欲しいと思います。