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「こんなこと知ってた?」のコーナーです

メンバーのビートルズおたく度合いを披露。   

2003年8月6日 表題:ソーリョさんの作品 作者:ソーリョさん

誰からも要望がなかったので、自分から自慢します。Ricenbacker 325 C58 ワシントンDCバージョンを、3Dでつくりました。 暇ですね。音が出ませんけど、似てますでしょう。苦労したところは、鋳物でできている不成型なBigsbyでした。勿論アームは動きます。 写真と変わらないではないかとの、ご不満の方のために壊してみたバージョンもつくりました。これから暇を見つけてヘフナーやグレッチ、またラディックなどつくって見ます。では、暑い日が続きますが、皆さん ごきげんよう!

2003年6月6日 表題:リバプール訛り 作者:P巻さん

映画 A Hard Days’Nightは皆さん何回も見ましたよね? 何度見ても、デビュー間もない頃の彼らの英語はリバプール訛りが酷くて、ちょっとやそっとの英語力じゃ理解不能・・・ってこともよくご存知かと思います。 4人はエルビス・リトルリチャード・チャックベリーに代表される米国R&Bが音楽のルーツにあるので、唄の歌いまわしは所謂アメリカンイングリッシュ(往々にして 黒人英語っぽいスラングなどを交えながら。。。。)でした。ただ、会話になると正統なクイーンズ・イングリッシュを話せるはずもなく、基本リバプール訛りの英語でインタビューの受け答えをやっていたようです。4人で一番リバプール訛りがキツク、最後まで抜けきれなかったは、ジョージだと言われております。

冒頭申し上げました、映画のワンシーン・・・映画が始まってすぐ、4人がけの列車に、ポール・ジョン・ジョージと老人が座っているシーンです。

ジョン:「一体誰や、この親父?」(リバプールも大阪の河内弁も湾岸言葉と言われておりますので、似たようなものかと・・・)

ポール:「僕のおじいちゃんやねんけど・・・」

で、ジョージがしかめっ面で・・・Are you Paul's grandfarther? と一言。 これをちょっとローマ字で雰囲気を文体にしてみますと、

「ぁ〜ゆぅー・ぽぅ〜ず・ぐらんふぁーざっ?」って感じでしょか?

1993年、バンドメンバーであるHJ・ジャック家族と一緒にリバプールへ三家族で行った時に、現地のマクドナルドで、ビッグマックのオーダーが通じなかった時は、 すごくショックでした。1998〜2000年ロンドン勤務当時は、ビートルズよりもゴルフに熱を上げていたので、スコットランド・アイルランド方面によくゴルフ遠征しました。ロンドン現地法人にスコットランド・アイルランド人もいたので、彼らの方言は分かるようになったのですが、リバプールは別格ですね・・・敢えて喩えると、大英帝国の”五所川原”って感じでしょうか?(青森県出身の方々には失礼ですが、単なる喩えですので、ご勘弁下さい)

2003年4月16日 表題:オランダでみつかったブートレッグのGET BACK SESSIONの内容を報告しております 作者:マック田中さん

ジョン、ポール、ジョージの話ばかりではリンゴースターファンに叱られるので、リンゴーのことも触れておきます。映画のシーンは良く覚えていると思いますがリンゴーはここに来てオクトパスガーデンを紹介するジョージは献身的といえるほどミドルの部分を作ってあげる。ピアノを弾いてはリンゴーにコードを教える。ここで面白いのはリンゴーはこの曲をジョージとの共作と考えてるところだ。ジョージはどちらか言うとボランティアよろしく、親身になって曲つくりに力を貸していると言う感じで最終的にはジョージの提案よりもっとシンプルなスタイルとなったが、全体的なメロディはジョージによるところが大きいと言える。どう考えてもジョージはいい奴なんである。だからあれだけのミュージシャン友達が多かったんだろうと推測できる。リンゴーもどちらか言うとすきがあるから皆から慕われる。ジョンは生まれながらの天真爛漫さがあるから懐が深い。問題はポールである。才能がありすぎて、周りが一歩下がってみてしまう。そのぶんだけポールは損をしているようにも見える。

2003年4月16日 表題:オランダでみつかったブートレッグのGET BACK SESSIONの内容 作者:マック田中さん

ポールは一日に何曲作曲するんだと言うくらい次から次へと曲を紹介する。アルバムLET IT BEとABBEY ROADに入ってる曲だけでなくANOTHER DAY, EVERYNIGHT,TEDDY BOY,などなど後のポールのアルバムに入る曲を紹介してゆく。ジョージはジョージでISN'T IT A PITY,ALL THINGS MUST PASS,LET IT DOWNなどなどを出してくる。こうなると旗色が悪いのがジョンである。いっこうに新曲が出てこない。あるのはDIG A PONYか後のJEALOUS GUYくらいで、それもまだラフである。ONE AFTER 909を焼きなおしては?とアドバイスを受けるが、ジョンは反応しない。ここでジョンは面白いことを言っている。当初この曲はローリングストーンズにプレゼントする予定だったとか。1963年にアンドリューオールダムに頼まれてストーンズに曲を提供するのにこの曲をと考えていたらしくストーンズに披露したけど、彼らはのって来なかったと仕方なしに書きかけのI WANNA BE YOUR MANをあげたとそれも録音中のストーンズのスタジオでポールと書き上げたと。だからこの曲はストーンズに蹴られた手前正式には発表したくなかったようだ。個人的には1963年当時の原曲の方がリバプールを感じるから、おいらはあちらの方が好きだけどねえ。あなたは?

2003年4月1日 表題:Paperback Writerのベースの謎(続) 作者:P巻

このお宅情報の裏話は私も知っています。1966年武道館公演〜その後の米国ツアーにも立憲麦価4001を持参していたんですよ。実際、武道館ライブの写真ではステージの片隅にひっそり立てかけられた立憲麦価4001が写ったのが存在します。で、Paperback Writer & Rain のプロモーションでは、ご指摘の通り、P(へフ ナ-)、J(エピフォン)、G(ギブソンSG)の出で立ちで登場します。 Rainは100%Sureではないのですが、Paperback Writerでは100%立憲麦価4001を弾いています。では、なぜプロモではへフナ-なのか? 人前で演奏する〜演奏するシーンが見えるプロモ・ビデオにおいて、「ポール=へフナ-ベース」のイメージを大事にしたかったそうです。ポールには「へフナ-ベースを弾いて、似合うのは俺しかいない!」 的 確固たる自信と信念があったとことです。ご存知の通り、ビートルズがサイケに突入したI'm セイウチ、こんちわ&さよならでは、サイケペイントした立憲麦価4001で演奏するプロモが見れますが、それにも裏話があって、ポールは絶対にへフナ-ベースにサイケペイントをやりたくなく、立憲麦価4001が身代わりになったとの事です。

2003年4月1日 表題:Paperback Writerのベースの謎(続) 作者:Jackさん

昨日入手したアンソロジーのDVDによると、Paperback Writer と Rain のカップリングでプロモーションビデオが見られるのですが、チズウィックの公園で撮影したというこの映像では、ポールがヘフナー、ジョンがカジノ、ジョージがギブソンSGをいずれの曲でも弾いてました。お宅情報では、リッケンバッカーのベースとのことですが、プロモーションビデオの撮影に使った楽器とレコーディングに使った楽器が全然違う、ということですよね。何か面白いエピソードが隠れているかもしれませんね。

2003年3月31日 表題:Paperback Writerのベースの謎 作者:P巻

Paperback Writerのベースは、へフナ-ではなくて、立憲麦価4001なんでB面のRainもどうやらへフナ-ではなくて、立憲麦価4001のようですよ。 この頃のポールは丁度、立憲麦価4001を弾き始めた頃なので、へフナ-には見向きもせずに立憲麦価4001と浮気を楽しんでいたそうです。

2002年3月31日 表題:Paperback Writerのリハ裏話 作者:永ちゃん

Paperback Writerのリハーサルでは、ポールがカジノ、ジョンがグレッチ、ジョージがベース(ソニック〜というやつ) という構成でやってたみたいですね。写真を見たことがあります。その音源も聞いてみたいです。とても興味深いです。

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