Kさんの思い出2 | 10年前? |
---|---|
![]() 北陸のライダー間では「白山一周」(ハクイチ)というツーリングコースが有名です。金沢〜R157〜手取ダム〜白峰〜勝山〜九頭竜ダム〜R158〜白鳥〜R156〜R158〜高山〜R41〜富山〜金沢という、丁度白山を1周する全長約250キロのルートはダム湖沿いの高速ワインディングがどこまでも続く、1デイツーリングには最高のコースです。 社会人1年目の夏のある日。Tと仲間4名でその「ハクイチ」へ行った時のこと。女性含む一団はペース差もあり、前を飛ばすリッターバイクのTと私、400の他メンバーは各々のペースで快適に白山を半時計周りに快走。しかしペース差があるため、終盤の富山市内で誰かがはぐれることは十分想定されました。 携帯も無かった時代なのではぐれたら個々帰宅ということにしてありました。しかしTと私は富山から氷見を経由、羽咋のバイク屋「きゃぷてん」でコーヒーを飲んで帰ろうと、途中2人で何となく画策していました。そして、ツーリング終盤、ハプニングは起こります。 富山市内の夕方の渋滞で、案の定私が皆とはぐれます。渋滞中、260キロ以上のZZRでの低速Stop&Goは拷問。富山大学前の神通川にかかる橋の上でした。夏の長距離走後の疲労からふと、沈む夕日に気をとられた瞬間、一瞬ブレーキングが遅れ、前で停車したパジェロのお尻にオカマを掘ってしまったのです。 時速2キロ位も、車重があるためカウル大破。フォークはセーフも、走行不能に。壊れたD2と夕暮れの道端で放心状態。事故は事故なので動揺は大きいもの。愛機を路傍に残し、公衆電話で羽咋のバイク屋「きゃぷてん」に電話(注:この店は能登に2つしかないリッターバイク屋の1つで店長の中村氏は昔、北陸一円を震撼させたライダーズクラブ(所謂「看板」を背負っている怖いおじさんたち)のヘッドだったとの事で、県内バイク屋のおやじ連中が一目置く存在(今はよいおじさん)。しかし、「きゃぷてん」の地下倉庫には北陸では手に入らない珍しいリッターマシンが山のように眠っています。僕のD2もここの地価倉庫に眠っていたものでした。) 「店長すみません。ZZR壊しました・・・。」 流石に元番長、それから何と5分も経たぬ内に息の掛かった富山市内のバイク屋の兄ちゃんが現れ、D2をピック。とりあえずそのバイク屋に運び込まれました。 20分後・・・。 バイクは後日「きゃぷてん」にトランポしてもらうとして、「はて金沢までどう帰ったものか?」と、考えていると「きゃぷてん」から電話だと。電話の向こうはT。Tは私とはぐれた後、私が「きっときゃぷ」に向かったと思い、一人先に富山から約50キロ離れた「きゃぷてん」に到達。そこで私の事故を知り、電話してきたのでした。 「大丈夫ですか!」 緊迫した声。 「大丈夫だよ。フロント行っちゃったけど・・・。」 「今から行きますから待ってて下さい。」 「いいよ、疲れているだろうから、(ガチャ!)」 いきなり電話を切られます。迎えにくるつもりらしいのです。真夏の炎天下の中、260キロ+50キロ走った後に、また50キロ走って迎えに来るのか?もう日も暮れているというのに?もう一度、きゃぷてんに電話すると中村さんが、「T君、ものすごい形相でホイルスピンして出てったぞ。どうやら君が大怪我していると勘違いしているようだ。」 「・・・。」 携帯もなく、仕方ないので、バイク屋の前の道端の縁石に腰を下ろして缶コーヒーをすすりながら待つことに。 時刻は午後7時。 破損した愛機が痛々しく、ボーっと地べたに座ってあれこれ考えます。バイクを壊したのはそれが最初で最後でしたが、夢にまで見たD2を壊したショックは大きなものでした。皮パンの膝で鼻水をごしごし拭いていると、ふと、遠くから何やら凄まじいエグゾーストノートが。低く、図太い川崎重工のインラインフォーの「ボォォォォッ」という音。 「ん?」 時計に目をやると7時30分を回ったところ。 「いや、まさかねえ。」 羽咋から富山までは氷見経由でも60キロはある筈。しかも下道。しかし遠くから接近してくる赤くて太いフロントマスクとイエローバルブは紛れもなくRXのそれでした。「羽咋から富山まで、30分・・・・バケモノか?」 そのTが目の前でサイドスタンドを立てるのを見て我に返ります。リッターバイクの凄まじい熱で、シリンダー付近には手も触れられない状態。タイヤからはサイド一杯に使ったゴムの焼ける匂いが。 「大丈夫ですか!!」 「お前こそ、むちゃしたろ!」 羽咋から富山に至るにはいくつかのルートがありますが、彼はR415のワインディングを羽咋から氷見へと抜け、海岸沿いを高岡へ入り、そこからバイパス経由でR8で富山に到達したのでした。彼は氷見出身なので道は熟知とはいえ、薄暗い半島と内浦のワインディングを30分たらずで富山に到達するには、恐らく全てのコーナーをフルバンク、且つ、直線は全て全開走行、前に現れる車は全てオーバーパスするくらいの勢いでなければ不可能なはずです。おまけに300キロ走行後の全開走行。非常に危険であったはずです(それは周囲にも)。 その後は、ちょっと言葉が出ませんでした。 「じゃ、帰りますか。」 それが、他人のバイクのタンデムシートに乗った最初で最後でした。しかし、後輩のTが頼もしくもあり、又、命がけで友を気にして救出に来てくれたこの男とは、一生キレない縁ができたのでした。 それから2年後。ヤマハ発動機に内定をもらったTに災いが降りかかります。ヤマハ内定記念にと「きゃぷてん」でOW01を購入するのですが、トルクのあるRXから超高回転型のOWに乗り換えて間もないある日、R8で左折しようと左に寄ってきた車をパスしようとRXの感覚でアクセルを開けた瞬間、一瞬スピードが乗るのが送れ、路側帯に乗り上げて転倒。頭を強打して意識不明に。 平日の午後、後輩からの電話でそれを聞いた瞬間、早退を告げて病院に爆走する自分がいました。幸い、命に別状はなかったのですが、Tの指には今でも金属のボルトが入っています。病室に入り、彼を見るなり「バカやろうが!」と怒鳴っている自分がいました。 今、Tとは自転車で共通の大会に出ています。いつかはまたMCに復活する日を、そしてハクイチを二人でもう一度行こうと、話したりしています。 |